私が手にとったのはこのバージョンですが………
いろいろなバージョン出てますのでお好みで。
この本の訳は池内紀さんがなさっていて、ドイツ文学者です。
ゲーテの翻訳が多いようですが、私はカフカの訳で出会いました。
難解な文章も読み易いです。
もちろん哲学好き!な方は哲学やってる方の訳の方が馴染みがあると思いますが、一般的にはこちらの方がオススメかもしれません。
とはいえ、本の構成が変わっていて、前半は写真とカントの本文のフレーズ、後半本文という形ですので、本文だけ読みたい方にとっては
「前半いらない〜」
ってなるかも。
本文は補説が込みで53〜90ページまでしかないちょっとの文章なのであっという間に読めます。
世界のリーダー(政治家)、この本全く読んでないか、読んでも無視なんだろうなぁ〜
とちょっと唖然。
もう2000年以上前のギリシャでも政治家の徳に関して議論されているし、多くの哲学者が平和について述べているのに、リーダー?権力者はそういうの興味がないんでしょうね………
興味ないから戦争できたりするんでしょうけれども(苦笑)
今の政治とも重なることがものすごく多いし、カントが住んでいたケーニッヒスブルク(現カリーニングラード)は様々な民族がいたので、そういった中でも平和にやっていける考察が端的に述べられています。
現実と離れていて理想や机上の空論にしか感じられなかったり、今の平和からはかけ離れた状況をより認識したりでがっくりきちゃうかもしれませんけれども、
平和とは何か?
って考えてたり、今の世界情勢に疑問がある方はオススメです。
哲学の本ってすごく難しく捉えられがちですけれども、論理に沿って展開されているのでスピリチュアルな本よりも内容はずっと簡単です。
スピリチュアルなことって論理も超えているものが多いですから、かえって難しいですし、もしもスピリチュアル的なことが論理的になかなか理解しづらいのであれば(要するに頭ではわからなくてスッキリしない)哲学の本をぼちぼち読んでみることもオススメです。
哲学の本のいいところ(どんなものであっても)は、自己認識が深まりやすいということです。
哲学者によって主張が違うので、自分が普段考えていることや、信念もあぶり出してくれるのです。
もちろん論理的に考えるとは?言葉とは?という理解も自然と増してきますので、メンタル、言霊的なものも学んでいけます。
そして、スピリチュアルオケラになることもなくなります。
論理的になると『それっておかしくね?』ってわかるので。
著者のカント先生は著作の内容だけでなく、以下のことが有名です。
・生涯独身で80歳まで生きた
・とにかく規則正しい生活で、カントが散歩する時間が正確だったので、それを見て時間をわかったり、時計がズレているのを直したりした
・ケーニッヒスブルクから出なかった
奇人変人扱いされてますが、文章読むとユーモアのセンスがあるのもわかります。
もちろんこの著作でも検閲に引っかからないように工夫してるのがみてとれます。
ケーニッヒスブルクは当時、バルト海の真珠として称えられた(ハンザ同盟)のですがイギリスの空襲により旧市街の98%が被害を受けてしまいました。
が!………カントのお墓のカント廟だけは残っているそう。
カントすごいな(笑)
カントがいた頃は西からリューベック、ダンツィヒ、ケーニッヒスブルクのハンザ同盟の都市が栄華を誇っていたそうです。
リューベックはハンブルクから電車で1時間弱のところにあるので訪れたことがあります。
こちらも空襲でやられてしまっていて、マリエン教会の被害にあった鐘がそのまま残されていました。
↑教会のパイプオルガン。空襲にあってるのでその後作り直したものなのが残念ですが、
バッハもここにパイプオルガンを聞くために遠路はるばる通ったとのこと。
日本では戦争の被害をそのまま残しているのは原爆ドームですが、東京にはそういうところないので、もっと残してもいいのではないかな〜とも思います。
ちなみに、東京の某公園、表面上はなんともないですが、戦争被害のエネルギーがまだあったりします。未だに暗い気持ちになったり気持ち悪くなっちゃう人もいるくらいです(汗)
補説の中には
戦争に備えて武装している国は、大いなる平和の可能性に向けての哲学者の言葉に、耳を傾けなくてはならないということ。
国家権力の代理人である法律家よりも哲学者に優位を認めよ、というのではない。
たまには哲学者のいうことに耳を傾けよ、というだけのこと。
と、あります。
ホントにそうしてほしいものです(苦笑)