2014.05.31 Saturday
望んでいない出来事や状況から脱するための、傲慢さと謙虚さについて
自分ではそれを望んでいないのに
何度も何度も同じような出来事に
遭遇する…自分ではそうしていた
いわけじゃないのにずっと堂々巡
りを繰り返している…
前者は出来事が起こっていますし
後者は何の出来事も起きない…と
いう反対のことにみえますが、こ
こには共通点があります。(まあ
同じような出来事が起こり続ける
のも堂々巡りではあるのですが、
ここでは何にも起こらない場合で)
どちらも自分はそれを望んでいな
いのに、同じような出来事にであ
ったり同じような状況に居続ける、
要するに望んでいない同じ何かが
ずっと自分と関わり続けていると
いうことです。そして、こういう
状況、時こそこう考えるのです。
『これって【自分にとって】どう
いう意味があるのだろうか?』
『自分はこういうことをどう感じ
て、どう捉えて、どう考えている
のだろうか?』
と質問してみるのです。
あまり適切でない質問はこうです。
『どうしてこんな事が起こる(ま
たは起こらない)のだろう?』と
いう質問、考え方です。先日お伝え
したとおり、出来事自体に意味はな
いので(むしろ意味を持たせるのは
自分)そこを考えても仕方がないの
です。
最も適切な質問はこうなります。
『これらの出来事がもしも私に何か
を教えたり伝えてくれようとしてい
るのであればそれはどういうことだ
ろうか?』
『堂々巡りを繰り返していることが
もしも私に何かを教えたり伝えてく
れようとしているのであればそれは
どういうことだろうか?』
となります。この質問の仕方こそが
スピリチュアルにかなっている質問
の仕方になります。
理由は、何らかの大いなるものに導
かれているということが前提となっ
ている質問だからです。大いなるも
のが自分にとって都合がよくない状
況、望ましくない状況であってもそ
れでも導いてくれているのだろうな
ぁ〜という謙虚な考え方から起こる
質問なのです。
「どうしてこんなことが起こったの
よ!」
というのは謙虚ではなくて傲慢な考
え方なのです。
『自分さえなんとかすればなんとか
なったはずなのに』
『こんな結果受け入れられない!』
というのは実際に起こっていること
を否定したり受け入れられないとい
う所にあるのです。
だからといって反省しなくていいと
か努力しなくていいと言っているわ
けではありません。何か大きなもの
に導かれているのであれば(ほんと
にそうなのですが、汗)何らかのヒ
ントや気づきがあるはずなのです。
原因探しをするのではなくて、単純
に「これって?なんだろう?」みた
いな発想があれば、あなたにとって
必要な情報というのはもたらされる
のです。
ここでいう謙虚さ、というのは全て
自分がコントロールできるわけでは
ないし、まだまだ自分には知らない
ことがたくさんあるんだ、という謙
虚さです。傲慢さはその反対で、い
つかは全てコントロールできるはず
だし(ほんとは無理)、自分はすべ
てわかっている!という傲慢さです。
何かをやらかした(汗)時に言う言
葉でもよくわかります。傲慢な人は
「わかっていたけどできなかった」
と言います。謙虚な人は「望む結果
が得られなかったということはわか
っているつもりになっていたのだな。
じゃあ何がわかっていなかったのだ
ろう?教えてもらえることがあれば
教えてもらいたいし、学ぶ点があれ
ば今からでも学ぼう」ということに
なります。前者をつい口にしてしま
う人は目上の存在から「言い訳や口
答えはいいから!」と言われたりす
ることもあるでしょう。後者を口に
する人は目上の存在から優しく教え
てもらえたりサポートを受けたりす
ることができるでしょう。
何度も何度も同じような出来事に
遭遇する…自分ではそうしていた
いわけじゃないのにずっと堂々巡
りを繰り返している…
前者は出来事が起こっていますし
後者は何の出来事も起きない…と
いう反対のことにみえますが、こ
こには共通点があります。(まあ
同じような出来事が起こり続ける
のも堂々巡りではあるのですが、
ここでは何にも起こらない場合で)
どちらも自分はそれを望んでいな
いのに、同じような出来事にであ
ったり同じような状況に居続ける、
要するに望んでいない同じ何かが
ずっと自分と関わり続けていると
いうことです。そして、こういう
状況、時こそこう考えるのです。
『これって【自分にとって】どう
いう意味があるのだろうか?』
『自分はこういうことをどう感じ
て、どう捉えて、どう考えている
のだろうか?』
と質問してみるのです。
あまり適切でない質問はこうです。
『どうしてこんな事が起こる(ま
たは起こらない)のだろう?』と
いう質問、考え方です。先日お伝え
したとおり、出来事自体に意味はな
いので(むしろ意味を持たせるのは
自分)そこを考えても仕方がないの
です。
最も適切な質問はこうなります。
『これらの出来事がもしも私に何か
を教えたり伝えてくれようとしてい
るのであればそれはどういうことだ
ろうか?』
『堂々巡りを繰り返していることが
もしも私に何かを教えたり伝えてく
れようとしているのであればそれは
どういうことだろうか?』
となります。この質問の仕方こそが
スピリチュアルにかなっている質問
の仕方になります。
理由は、何らかの大いなるものに導
かれているということが前提となっ
ている質問だからです。大いなるも
のが自分にとって都合がよくない状
況、望ましくない状況であってもそ
れでも導いてくれているのだろうな
ぁ〜という謙虚な考え方から起こる
質問なのです。
「どうしてこんなことが起こったの
よ!」
というのは謙虚ではなくて傲慢な考
え方なのです。
『自分さえなんとかすればなんとか
なったはずなのに』
『こんな結果受け入れられない!』
というのは実際に起こっていること
を否定したり受け入れられないとい
う所にあるのです。
だからといって反省しなくていいと
か努力しなくていいと言っているわ
けではありません。何か大きなもの
に導かれているのであれば(ほんと
にそうなのですが、汗)何らかのヒ
ントや気づきがあるはずなのです。
原因探しをするのではなくて、単純
に「これって?なんだろう?」みた
いな発想があれば、あなたにとって
必要な情報というのはもたらされる
のです。
ここでいう謙虚さ、というのは全て
自分がコントロールできるわけでは
ないし、まだまだ自分には知らない
ことがたくさんあるんだ、という謙
虚さです。傲慢さはその反対で、い
つかは全てコントロールできるはず
だし(ほんとは無理)、自分はすべ
てわかっている!という傲慢さです。
何かをやらかした(汗)時に言う言
葉でもよくわかります。傲慢な人は
「わかっていたけどできなかった」
と言います。謙虚な人は「望む結果
が得られなかったということはわか
っているつもりになっていたのだな。
じゃあ何がわかっていなかったのだ
ろう?教えてもらえることがあれば
教えてもらいたいし、学ぶ点があれ
ば今からでも学ぼう」ということに
なります。前者をつい口にしてしま
う人は目上の存在から「言い訳や口
答えはいいから!」と言われたりす
ることもあるでしょう。後者を口に
する人は目上の存在から優しく教え
てもらえたりサポートを受けたりす
ることができるでしょう。