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うらない
うらない (JUGEMレビュー »)
銀色 夏生
銀色さんとの対談。エイジ君とのセッションも。
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思考と感情の一致=神?
 では、思考と感情が一致していて、適切な
思考、言葉がでてくる場合はどうなのかと
いうと、思考以外の部分の感覚、感情、
気持ち、直観などをきちんと汲んだ思考、
言葉になっているので、シンプルで、思考、
言葉と体験する現実にあまり差がありません。

いわゆる「思った通り」というのは思考と
感情の一致していない人にとっては、思考
やエゴの思った通り、というコントロール、
操作の部類に属するのですが、思考と感情
(その他も)が一致している人にとっては
コントロールや操作ではなく、ただわかって
いる通りで、考えたとおりでもある、という
現実です。またそれをこえて、思考やエゴ
のレベルで想定している以上のものも
許せるので、思った以上に楽しかったり
豊かな結果や経験を体験することもできます。

思考と感情の一致している場合の思考や
言葉はパワフルだ!というのをわかって
いると、本当に言葉には気をつけるように
なります。言霊、という概念をよくわかって
いなかったとしても、自分の思考、言葉が
現実化しているし、何よりも自分自身に
影響を与えるというのが実感できるので、
普段の思考、言葉にも注意を払うように
なります。それに慣れていくと今度は
自分の望む現実化をするための思考、言葉
を意識的に選び、現実化していきます。

生きていると、なんとか喋らないと、、、、、
という場面はよくありますが、ここでも
話す言葉に注意深くいるのが大切です。
なんとなく喋ってしまうくらいであれば、
喋らないか、立ち去るか、、、、、の方が
言葉の誤用をしなくても済みます。また、
言葉で上手く表現できない!思考でも
うまく自分を把握しきれない!!!!!と
いうことがあっても、慌てて思考や言葉
をひねり出すくらいであれば、そこは
感覚、感情、気持ち、直観にまかせて、
言葉や思考にならなくても、それを
許してみるのもいいです。言葉や思考
ありき!!!!!とエゴは誤解しています
が、それは思考と感情が一致している
人、または神です(どちらも同じですが、
、、、まずはじめに言葉ありき、、、)。
反対に言えば、思考と感情さえ一致して
いればいつでも神のようになれるという
ことでもあります。
| 日常の気付き | 23:59 | - | - | pookmark |
思考、言葉の誤用
 思考と感情が一致していない場合、
思考からはこんな思考、言葉がでて
きます。
「やればできる」
「まずはやるべきことから!」
「いつかやろう」
「○○(時期)くらいになったら」
「○○(出来事、チャンス)があったら」
「才能があったら」
「失敗したりできなかったらやだから
、、、(やらない)」

しかし、たいていは感情、感覚の部分
では言葉にならないツッコミがあふれて
きています。その思考、言葉に散々裏切ら
れ続けていることをわかっているからです。
自分自身が感じていることを無視されたり
抑圧されたり批判されたり嘘の思考、言葉
でごまかされることにウンザリしています。

思考と感情がうまく一致していない場合、
当然のことながら魂の伝えてくることも
よくわかりません。魂からの情報も、
思考、言葉(適切でない言葉)にかきけさ
れてしまいます。

前述の思考、言葉を常日頃から行って
いて、それを理由に先延ばしにしたり
あきらめているのであれば、その人が
どんなにアファメーションをしたり、
ポジティブシンキングをしたりしても、
どちらかというと逆の結果になって
しまいます。理由は、使っている思考、
言葉が単なる言い訳やエゴを満足させる
やり方であって、正しい言葉をつかって
いるとは言えないからです。

以前にも書きましたが、やればできる!
という言葉は本当に危険です。言葉どおり
であれば、じゃあ、やればできるわけだから
やりましょう!なはずなのですが、大概は
「やって失敗するぐらいだったら、自分の
エゴやちっちゃいプライドが傷つくから、
やればできる!!!ってことでごまかし
ておこう!!!えっへん!!!!!」
という自分に対しての嘘、裏切りとして
使っているからです。
| 日常の気付き | 23:59 | - | - | pookmark |
現実も夢と同じでリアルでない?
 今朝みた悪夢は、心理的恐怖が半端ない
夢でした(滝汗)あんな夢は生まれてはじ
めてみました。夢のなかで肉眼ではみえ
ないところをみて(背中に目がついてる
感じ?笑)うわ、コレは!!!!!という
モノをみてしまって、それにもちゃんと
対処して、逃げ切る!!!!!でも表面
上は何も気づいてない感じで、落ち着いた
感じで逃げるけど、本心は怖くて仕方ない
という(笑)

でもこれは現実とリンク?しているもの
なので、起きてからも怖かったです(汗)
そういう兆候がちょっと前からあったの
ですが(闇のエネルギーとの対峙とか)
やっぱりか!!!!!という確認にもなり
ました。夢と現実がリンクしていると、
どっちがどっちだか???と混乱する
と同時に、夢の世界をしっかり探検しつ
くしていくと、実際は現実も夢も差が
ないということに気づきます。明晰夢を
みられたり、夢をコントロールできたり、
夢から体外離脱、幽体離脱にもっていく
体験が数多くあると、現実も同じように
体験、コントロールできることに気づき
ます。

夢で現実と思っていることは実際には
眠っているときに体験しているものです
から、現実ではないのですが、現実で
リアルだと思っていることも、本当は
これぞ現実!!!!!とは言えないんです。
夢と同様に、ただ自分が体験していて
それをものすごくリアルに感じている、
というだけのことです。ただそれだけ
なんだ、、、、、ということがわかる
と、現実での体験も変えることができる
というのもすんなりわかります。簡単に
書きすぎましたが、まあ、そんなとこ
です(笑)
| | 23:59 | - | - | pookmark |
母退院&ミーちゃんグレる
 みた夢は、空港でミーちゃん(実際は
三毛猫なのになぜか黒猫)を連れて行こう
と思ったら、具合が悪くなっちゃって泡を
ふいたりして、ものすごく慌てる夢。
夢のなかではヒーリングできることも
忘れてしまっていて、しっかり無意識な
夢(明晰夢にもってけなかった)でした。

母から連絡があり、4週間の予定のところ
無事はやく退院できた、とのこと。そして
手術した部分がまったく痛くないので、
他の先生までが「本当に痛くないんです
か?!」とわざわざ聞きにくるくらい、
まれにみる回復だったとのこと。手術中
ちゃんとヒーリングしたおかげなのか?
ヒーリングしてもらえた!という本人の
安心感なのか?それともリハビリの先生が
いうように他の人のように痛みを感じない
母なのか、、、、、まあ色々ありますが、
1週間以上退院がはやまったのはよかった
なあ、と思います。

が、、、、、こんどは、エサ係がいなく
なって、変化を感じ、母のときよりもいい
ご飯がでてこないミーちゃんが凶暴化?
グレて?しまったとのこと。朝みた夢は
このことだったのか(滝汗)あと、夢で
くるしそうだったので、水道水を父が
あげてしまってないか心配です。ちょっと
前に水道水はあげないでね、と母には
頼んだのですが、そういえば、ちゃんと
その辺伝わってるかどうか確認しなかった
ので、水道水禁止をもう一回言わなきゃ、
です。以前にミーちゃんが体調崩した
ときに、水をかえた方がいいみたい、、、
というのがわかったので。でも今度は
グレちゃったので、またヒーリングは
してみますが効果はあるのかどうなのか?
母が戻ってきたのをわかって落ち着いて
くれるといいのですが(汗)
| ヒーリング | 23:59 | - | - | pookmark |
自分の中の「子供」とどうつきあうか?
 自分の中の架空の他者にしてもエゴに
しても本能的な部分にしても感情にしても
、、、、、わりとそれをなくす!方向で
対処しようするのですが、大切なのは、
あって当たり前のものではあるけれど、
それを俯瞰してみている自分がいる、
ということを知り、なおかつそれらが
あっても大丈夫だ!ということを知って
いて、気長に付き合う、ということです。

これは親と子供の関係を例にすると
わかりやすいです。俯瞰してみている自分
が親で、その他の部分(架空の他者、エゴ、
本能または動物的部分、感情)が子供
だとしましょう。
子供が騒いだり泣いたりかまって!!!
と甘えてきたり、まあいろいろ表現して
くるとします。無視したり、なかったこと
にしたり、反対にイライラして怒ったり、
別に子供達が悪くないのに八つ当たり
するというのはいいやり方ではないです。
適切なやり方は、子供が何を訴えている
のか把握しつつ、子供にもわかるように
こちらのことを教えてあげたり、きちんと
コミュニケーションをとったり、相手
できるときは相手をしっかりして、なお
かつ普段のケア(食事などの通常の世話)
を続けていれば、子供が親の脚をひっぱる
方向ではなく、親を尊敬したり、親の
いうことを自然ときくようになります。
信頼関係から関わっていけば、親がえらい!
とか親の言うこと聞かせなきゃ!なんて
ことにはなりません。親と子がいい関係
を築けます。

これを自分のなかでやるわけです。
そういう観点からみると、子供の部分を
無視したり、抑圧したり、批判したり、
めんどくさがったり、、、、、という
育児放棄、虐待までいってる感じもあれば、
親としてはそれはどうなの???という
しつけ、教育、関わり方である、、、、、
という関係性がみられます。

実際に、自分の中でのやりとりが上手く
いっていない人が子供に対してもキツく、
つらく当たります。自分で自分をどうしたら
いいかわからないから、子供にたいしても
そうしてしまうんです。

自分の中にある(たいがい外側の世界に
投影してしまっていますが、まず自分の
中にあることに気づくのが第一歩)様々
な部分と適切に関わっていくことが、
どの人にとっても重要なことです。
また、しあわせ、というのはこれらとの
関わりが自然とできると、わりと簡単に
やってきます。
| 日常の気付き | 23:59 | - | - | pookmark |
他者といっても架空の他者(かつ自分)
 大人になる前、自立(精神的なものが
大きい)する前は、他者からあれこれ
言われるのは当たり前です。親や周囲の
人間(兄弟や友達も)から言われたこと
を気にしたり、その辺気を使いながら
成長していきます。

大人、自立に向かう場合は、ある地点で
他者のことは気づかいつつも、自分の
考え、目指しているものを中心にすえて
やっていくことができます。

が、大人、自立に向かいたくても、自分の
なかで、あれこれ言う声、思考が大きく
なってしまった場合、周りの人々が一切
あれこて言っていなくても、自分で自分
にあれこれ言うことになります。自分の
なかにあれこれいう自分、批判的な他者、
というのが育ってしまって、いなくなって
くれません。これは本当の意味の他者では
なく、ちょっと考えれば架空の他者(なお
かつ自分)であることがわかるのですが、
本人は真剣に、「でも○○と思われたら
どうしよう」と架空の他者を想定して
振り回されまくります。

こうなってしまった場合が一番大変です。
実際にあれこれ言う他者がいる場合も
大変ではありますが、自分でつくって
しまった他者の場合は、相当意識的になら
ない限りいなくなってくれません。
多少、他者というのを意識しているくらい
であれば問題ないのですが(まったく
他者の目を気にしないとなるとそれは
ただの万能感にあふれる子供と同じで
成長過程としては最初すぎるので)、
そのあれこれ言う声、思考、セルフトーク
が生きる上での判断基準となってしまう
と、、、、、いもしない人間の声で
自分の人生を決めていることになります。

例えば、守護霊がこう言ってる!神様が
こう言ってる!!!!!ということで
全部色々決めている人がいたら、正直
頭がおかしいと思えますよね。でも、
自分の中の架空の他者の言っていること
が判断基準になっていたら、守護霊が
どう、神様がどう!!!と言っている人
と全く同じなわけです。

これは、何かのお告げ(?)がいい悪い
ということを言っているのではなくて
(守護霊とか目に見えない存在信じて
ないわけないので)もしも何かの存在
がいるいないに関わらず、それを基準に
物事を決めてたらどう思いますか???
ということです。

守護霊や神様を本人がリアルに感じている
なら、そのお告げ?との関わり自体が
問題なのであって、それをどう活かすか?
というのが(もしくは関わらない、という
選択もできます)可能です。しかし、
架空の自分の中に済んでいる他者(想定
した他者)の言うことをいちいちきいて
いるのであれば、これこそ狂気ではない
でしょうか?もしも、なにかのお告げ?
だったり、それが尊敬する人でも、宗教
でも上司でも親でも何でも、、、、、
言うことをいちいちきいている人がいて
自分の人生が歩めていない人がいるとしたら、
それはたまたま外の世界に投影している
誰かがいるだけで、本当は本人の中の
架空の他者が影響しているのかも???
ということも言えるでしょう。
| 日常の気付き | 23:59 | - | - | pookmark |
自己と他者の関係の成長段階
 自己と他者の重要度の変化をちょっと
まとめてみます。

1 自己>>>>>他者
赤ちゃん、小さいとき。赤ちゃんのとき
は自分ということすら認識もないくらい、
自己一色です。だんだん大きくなって
きても、まだ物心ついていないので、
自己というのもよくわからない状態。

2 自己>他者
物心がつくぐらいのとき。子供の持っている
万能感があるとき。

3 自己<他者
いろいろしつけられてきて、人の顔色を
うかがったほうが自分にとって得である
というのがわかってくる。

4 自己<<<他者
思春期。周りの目が非常に気になる。

5 自己<他者
周りの目はまだ気になるが、そこまで
顔色をうかがわなくなる。

6 自己>他者
人のことばかり構っていても仕方ない
(操作を手放す)ので、自分を大切
にしだす。「自分を大切にしてくださいね」
っていう場合はここにまだたどりついて
いない場合。

7 自己=他者
エゴがおとなしくなる。自己重要性を
手放す、いきつくさきは無私の私。
すべてが同じになる。

段階が何段階とわかれているわけでは
ないんですが、簡単にまとめてみました。
2〜5で止まっちゃうと色々問題が発生
します。(5はまだいい方だけど、笑)
6までいくとあとは簡単。6に行くのが
なかなかできないんです。自分のこと
だけに集中するのは自己中心的と思わ
されて(自分のことだけ考えちゃダメ!
って言われるじゃないですか)たいてい
育つので、6に踏み切るのが難しいです。

一番しんどいのは4でしょうね。
まわりに迷惑なのは2かな?(笑)
3も人をコントロールすることに集中
するのでなかなかなんともまあ、、、です。
| 日常の気付き | 23:59 | - | - | pookmark |
8月名古屋大阪セッション締め切りました
 8月の名古屋大阪セッション、すべての枠
にご予約いただきましたので、受付を締め
きらせていただきました。
ありがとうございます!みなさまにお会い
できるのを楽しみにしております。
| お知らせ | 10:50 | - | - | pookmark |
自分にしてたジャッジ(汗)
 ここ何日か、あいている時間は自分と
いうのをあらためて観察(いつも細かく
してはいるのですが、もっと大きな視点
で)して、自分のビジョンともつながった
りもしてみました。

やればやるほど、なにもないというか
静かというか(汗)昨日歩きながら、あ〜
なんにも悩みがないなぁ〜、、、、、
部屋を綺麗にするくらいかなぁ〜、、、、、
と思って。

本をよんだり、改めて自分と向き合うため
に自分がどういう人間で何を求めているか?
なんかも書き出してみたりして、結構大きな
発見もありました。まあまあ事実ではある
けれど、これは自分がそういうキャラでいた
かった名残やそこに関するジャッジなんかも
あったりしました。求めるものは平和とか
安らぎ(笑)で、自分のキャラとは違うので
かなり驚きました。だから部屋の掃除を
今はしてるのか!!!と(笑)

自分に対するジャッジで具体的な言葉は
「気難しい」でした。過去にそうありたい
と思っていたし(???笑)そう思われる
ことも多かったようですが、これはちょっと
言葉が違うなぁ、、、とわかりました。
正確には「人と怒るポイントが違うので
理解されづらいことが多い(ちゃんと説明
しても!です、汗)が、自分の基準は明確
だし、それにたいしての感情もはっきり
している」ということでした。

例えば、ものすごく悪いことしてる人や
ものすごくだらしない人がいたとします。
それに対しては「まあ本人がいいならいい
んじゃないの?」とめちゃめちゃ寛容です。
善悪判断で人と関わるんじゃなくて、自分
が興味がもてるかどうか?という基準なの
がまず違うようです。が、そのものすごく
悪いことしてる人、だらしない人が他者の
悪さやだらしなさを批判したとします。
するとそこには一貫性が存在しないので
そこに私はめちゃめちゃ怒ります(笑)
むしろ悪さやだらしなさを褒めて自分を
正当化するくらいでいいと思ってます。
なので、はっきり言えば一番苦手なのは
自分のことを棚に上げる人、です(笑)

じゃあ私自身は自分のことを棚にあげない
のか?ということですが、棚にあげる場合
は、「棚にあげてます!」または「自分に
はその経験がないので棚にあげさせていた
だきます!」と宣言します(笑)そうじゃ
ないと話が進んでいかないことがあるので。
(とくにセッション。子供いないけど子育て
のことを話すなどの、経験してないことの
情報をお伝えする場合です)また、自分が
何かを棚に上げているとわかった場合には
そこに関しては自分がわかってなかったり
できてなかったりするのにそこをどうこう
いっても仕方ないわね、とあっさりすっきり
あきらめます。これは先ほどの苦手な人と
反対なやり方で、一貫性をもたせる、
スジを通す、というのを自分が大切にして
いる、ということなんです。まあ、だから
といって一貫性がない人を批判していいわけ
ないのですが、まあ好みじゃないので、
ガッツリ関わったりはしないですね。

いわゆる先生と言われる仕事の人で、
一貫性のない人(親でもそうか、、、親の
言うことはきけ!と押し付ける親)
をみると、批判がムクムクより激しく
わいてきちゃってましたが、まあ、それは
その人の好みということで(ついていく
側も一貫性云々よりより簡単なhow to
を求めているのかも?)そういう人の
人生がどうなっているのか観察はしちゃう
けど、批判はしなくていいじゃん!、、、
と思ってます(笑)
| 日常の気付き | 23:59 | - | - | pookmark |
王様と奴隷の「辞書」の違い
 いくらでも例はあると思うのですが、
思いついたものをあげてみます。

お金
王様 手段
奴隷 目的

責任
王様 パワー
奴隷 重荷

選択
王様 統合の機会
奴隷 分離する分かれ道

チャンス
王様 またやってくるもの
奴隷 逃したらやってこないもの

人生
王様 遊び場
奴隷 やるべき何か(使命、義務)に取り組む

人に対して
王様 自分=他者 むしろ自分というのは重要では
         なくなってくる
奴隷 自分<他者 自分>他者 をいったりきたり

王様というのは神といいかえても
いいかもしれません。神は気まぐれで、
ちゃんとしてないとこちらの願いを叶えて
くれない、とか、怒らせたら怖い!!!と
いう教え、言い伝え、思い込みは奴隷から
みた王や神への投影です。思考が奴隷なの
で、王や神が気前がよくてちっちゃいこと
なんか気にしない!というのが理解できま
せん。

これらは王様の思考なのか奴隷の思考
なのか?どちらで生きているのか?と
いうのを語っているのであって、実際の
身分は関係ないです。身分が王様でも
奴隷思考の人はいますし、身分が奴隷で
あっても王様思考の人はいます。ただ
単純に考え方、行動で人生は王様のように
いきるのか、奴隷のように生きるのか?
が違ってきてしまいます。考え方、行動
の根底には、感情、気持ちももちろん
含まれています。
| 日常の気付き | 23:59 | - | - | pookmark |
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