2015.11.30 Monday
『ありのままでいい!』は生きる力を奪う危険な言葉
「ありのままでいい!」
的な言葉はものごとのありようをそのまま受けとめるのとは違って、ありのままがすばらしい=そのまんまで何でもオッケー!
という物事を受容するのではなく、受容にみせかけた否認をしている、ということが昨日の記事でおわかりになったと思います。
「ものごとがありのままでいいんだ!」
「あなたはそのままで十分素晴らしい!」
がいい言葉、いい響きに聞こえてしまうのは、実は………
・ありのままでいいんだ!と思わなくてはやってられないくらい弱っている。
・自分は悪くない、自分を正当化したい。
・頑張っても無駄だし、努力なんてクソ食らえ!
と感じてしまっているということになります。人間弱っているときはそういう言葉に慰められることもよくあると思いますが、ずっとここに浸っていてはマズいのです。
このように否認の状態を続けてしまい、『ありのままでいいんだもん』と自分にも言い聞かせ続けると…どうなっていくでしょうか?
ありのままにとどまることをヨシとし、自分が本当に感じていることを感じないようにすることで、麻痺していきます。麻痺したことが当たり前の状態になると、何かを感じてどうこう…ということがどのような物事に対してもできなくなってきます。考えているだけで行動することが難しくなります。
この言葉、『ありのままでいい!』に頼りすぎると………
努力や行動する力、自分で人生を変えていく力が奪われてしまうのです。
この捉え方の最も危険なところは、努力や行動をも否定してしまって、最終的には自分で自分の人生や運命を変えることができないんだよ…という感覚や信念を強化してしまうところなのです。
悩みや自分の嫌いなところ、自信のないところを、認め、受け入れたことで、何らかの行動をとり、素晴らしい結果がでることがあります。これは葛藤から導かれたことではあるけれども、いい成果を得ることができる、ということです。それは生きる力や努力を増していきます。生きているという感じがします。
「ありのままでいいんだよ」という言葉はサバイバル状態にある人にとっては…
『運命は変えられないんだよ…』
『あなたは変わらなくてもいいんだよ…』
『あなた自身も変えられないんだよ…』
『努力なんて無駄…』
『生きる力なんかなくていい…所詮みんな死ぬんだから…』
という囁き声でもあるのです。
ありのまま、に、【いい】 も 【悪い】 もなく、中立なものだ、という捉え方をしてみてください。
似ているけど全く非なるものである、ありのままでもオッケー、という人間本来持っている力を否定する捉えられ方に、どうしても弱っている時以外はひきつけられないでください。
弱ってもいないのに「ありのままイェーイ!」は結構マズいです。
努力しない自分、運命を変えない自分にオッケーを出してしまっています。
「でも、スピリチュアルな本にはありのまま、あなたの存在自体が素晴らしい!って書いてあるけれども?」
とお思いの方もいらっしゃると思います。これはサバイバルを超えて、魂存在としての意識状態、目覚めた状態になる人がわかる境地です。確かに本当にそうではあります。が、その境地に達していない人がそれをお題目に唱えたり、慰めに使っても…かえって害悪となるのです。同じ言葉でもその体験をしている人とそうでない人では捉え方に違いがあります。
仏陀がわかったであろう
「すべてが幻だ」
という境地があります。
悟った人間がやっとのことでわかったことであって、悟っていない人間には全く関係がなく、本当の意味をわからないで使うと相当危ないことになるのです。すべて幻なわけですから、極端な話『人を殺しても問題がないでしょ?』ってことにも使えるわけですから。
『ありのままでいい…』
目覚めるとそういう境地になる
&
目覚めた人はそういう捉え方をする
くらいにおさえておくといいでしょう。
ちなみに、目覚めた人は『ありのままでいいんだ!』とセルフトークをしたり、機会があるごとにつぶやいたりしません。なぜなら本当にそう感じ続けているから、いちいち唱えたり言ったりすることもないのです。自分は目覚めているし、あなた達も目覚めているんだよ!と言い過ぎる(多少は仕方ない)人は、お節介か営業かもしれません。人の言うことよりも自分の今の感覚、境地、見える景色、現在地を大切になさってくださいね。
的な言葉はものごとのありようをそのまま受けとめるのとは違って、ありのままがすばらしい=そのまんまで何でもオッケー!
という物事を受容するのではなく、受容にみせかけた否認をしている、ということが昨日の記事でおわかりになったと思います。
「ものごとがありのままでいいんだ!」
「あなたはそのままで十分素晴らしい!」
がいい言葉、いい響きに聞こえてしまうのは、実は………
・ありのままでいいんだ!と思わなくてはやってられないくらい弱っている。
・自分は悪くない、自分を正当化したい。
・頑張っても無駄だし、努力なんてクソ食らえ!
と感じてしまっているということになります。人間弱っているときはそういう言葉に慰められることもよくあると思いますが、ずっとここに浸っていてはマズいのです。
このように否認の状態を続けてしまい、『ありのままでいいんだもん』と自分にも言い聞かせ続けると…どうなっていくでしょうか?
ありのままにとどまることをヨシとし、自分が本当に感じていることを感じないようにすることで、麻痺していきます。麻痺したことが当たり前の状態になると、何かを感じてどうこう…ということがどのような物事に対してもできなくなってきます。考えているだけで行動することが難しくなります。
この言葉、『ありのままでいい!』に頼りすぎると………
努力や行動する力、自分で人生を変えていく力が奪われてしまうのです。
この捉え方の最も危険なところは、努力や行動をも否定してしまって、最終的には自分で自分の人生や運命を変えることができないんだよ…という感覚や信念を強化してしまうところなのです。
悩みや自分の嫌いなところ、自信のないところを、認め、受け入れたことで、何らかの行動をとり、素晴らしい結果がでることがあります。これは葛藤から導かれたことではあるけれども、いい成果を得ることができる、ということです。それは生きる力や努力を増していきます。生きているという感じがします。
「ありのままでいいんだよ」という言葉はサバイバル状態にある人にとっては…
『運命は変えられないんだよ…』
『あなたは変わらなくてもいいんだよ…』
『あなた自身も変えられないんだよ…』
『努力なんて無駄…』
『生きる力なんかなくていい…所詮みんな死ぬんだから…』
という囁き声でもあるのです。
ありのまま、に、【いい】 も 【悪い】 もなく、中立なものだ、という捉え方をしてみてください。
似ているけど全く非なるものである、ありのままでもオッケー、という人間本来持っている力を否定する捉えられ方に、どうしても弱っている時以外はひきつけられないでください。
弱ってもいないのに「ありのままイェーイ!」は結構マズいです。
努力しない自分、運命を変えない自分にオッケーを出してしまっています。
「でも、スピリチュアルな本にはありのまま、あなたの存在自体が素晴らしい!って書いてあるけれども?」
とお思いの方もいらっしゃると思います。これはサバイバルを超えて、魂存在としての意識状態、目覚めた状態になる人がわかる境地です。確かに本当にそうではあります。が、その境地に達していない人がそれをお題目に唱えたり、慰めに使っても…かえって害悪となるのです。同じ言葉でもその体験をしている人とそうでない人では捉え方に違いがあります。
仏陀がわかったであろう
「すべてが幻だ」
という境地があります。
悟った人間がやっとのことでわかったことであって、悟っていない人間には全く関係がなく、本当の意味をわからないで使うと相当危ないことになるのです。すべて幻なわけですから、極端な話『人を殺しても問題がないでしょ?』ってことにも使えるわけですから。
『ありのままでいい…』
目覚めるとそういう境地になる
&
目覚めた人はそういう捉え方をする
くらいにおさえておくといいでしょう。
ちなみに、目覚めた人は『ありのままでいいんだ!』とセルフトークをしたり、機会があるごとにつぶやいたりしません。なぜなら本当にそう感じ続けているから、いちいち唱えたり言ったりすることもないのです。自分は目覚めているし、あなた達も目覚めているんだよ!と言い過ぎる(多少は仕方ない)人は、お節介か営業かもしれません。人の言うことよりも自分の今の感覚、境地、見える景色、現在地を大切になさってくださいね。